大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2197号 判決 1967年8月30日

控訴人 国

訴訟代理人 河津圭一 外六名

被控訴人 高橋茂

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金一万円の支払をせよ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を控訴人のその余を被控訴人の負担とする。

事実

<省略>

一、控訴代理人の陳述

(一)  被控訴人の懲戒処分にあたり、当局側関係者が渡辺次長の負傷を医師の診断書どおり「三日間の安静加療を要する左頬部打撲症」と表示したことは何等不当ではない。

被控訴人の懲戒処分の一理由として、被控訴人の渡辺次長に対する暴行と共に傷害発生の事実が挙げられているが、右処分理由の着眼とするところは、被控訴人が次長に対して、被控訴人主張のフアイルを押し飛ばした暴行の事実、態様そのものであつて、それによりたまたま結果的に当該の傷害が生じたからということではなく、結果的傷害はただ被控訴人が暴行したことの一証左として付記にされたに過ぎないものであり、したがつて、何ら傷害の可能性のない行為をしたにとどまるときは格別、被控訴人がいやしくも右可能性のある粗暴な行為をした以上右傷害の結果を付記すると否とは、被控訴人の行為の社会的評価に何物をも加減するものではない。

もつとも、渡辺次長の右傷害をどのように表示すれば正確であるかは微妙な問題であると考えられ、右の表現が適切でないとの見方もあるであろう。しかし、島所長(同人は受傷者本人ではないから、その面からももとより正確なことは知り得ない)および渡辺次長等が右述のように、被控訴人の暴行の一証言としての負傷を上司に報告するに当つては、必ずや診断書の提出が要請されるものであり、かつそのような場合(医師の診断はその患者に対する責任上また医業者としての立場上、万一のことを慮り万全を期するという大きな自的に則つて考えられる限り、重目になされるということはあるが)右の者等が専門家たる医師の診断を曲げて報告すべき筋合のものでもなく、現に受傷の事実があると認識し、かつ、医師から無理をすると顔面神経痛を遺すおそれがあるとも訓されて、右診断の下に加療を受けた現実の下において、受傷の裏付けとして、右医師の診断書をそのまま上司に提出したことは、まことに当然であると云うことができる。また右暴行の報告を受けた上司が、それに基き被控訴人に対し懲戒処分をするにあたつて、傷病の補償の場合のように負傷内容に決定的重要性のある場合なら格別、現に暴行のあつたことが事実でかつそれだけで処分理由とするに足りる場合に、右暴行の一証左としての受傷のことに触れるに当つて、受傷の事実、程度について何等直接の認識をもたぬ上司が、後日に至り専門家たる医師の受傷直後の診断書を否定し、これと別途に受傷の程度、内容を認定するがごときことは到底これを期待し得べきものではない。これを要するに、本件当局側関係者等が医師の診断書に準拠してその事務を処理したことは何等責められるべきものではないと考えられる。

(二)  本件処分内容の通報は、被控訴人の名誉をことさら侵害するものではない。

本件懲戒処分の理由たる被控訴人の有責行為は、既述のように被控訴人が渡辺次長目がけて本件ファイルを強く押し飛ばしたこと自体にあり、したがつて、それが事実である以上、たまたまその証左として付記された傷害の態度について若干失当の点があつたと仮定しても、被控訴人は本件処分の内容の発表により違法に損害を蒙るべきものではない。また、本件処分の発表方法である「局報号外」<証拠省略>は、主として第一港湾建設局の内部に配布なされたものであつて、これを見る管内の職員は既に予め問題の事実を知つていたものであり、また局外への送付は単に業務上の参考資料として僅少部数が担当者に送られたにとどまるものであるから、その点からしても、右通報により被控訴人に損害が生じたとは、認め難い。

二、証拠<省略>

理由

訴外嶋文雄は運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所長同渡辺啓は昭和三六年三月まで同所次長の職にあつたもの、被控訴人は、同建設局秋田港工事事務所附属土崎機械工場事務所職員で、全港湾建設局労働組合第一港湾建設局地方本部秋田港支部執行委員であること、被控訴人は昭和三六年九月二四日任命権者である第一港湾建設局長幸野弘道より国家公務員法第八二条第二号、第三号に該当する事由ありとして、停職一ケ月を内容とする懲戒処分を受け、その旨が理由とともに原判決添付の同建設局発行の局報号外に掲載せられ、その約一五〇部が第一ないし第四建設局、第一港湾建設局管内の各事務所及び運輸省港湾局に配布せられ、これら所属職員に右事実が周知せられるにいたつたことは当事者間に争いがない。

そこで、昭和三五年六月一七日右第一港湾建設局新潟港工事事務所会議室における団体交渉の席上において、被控訴人が同工事事務所次長渡辺啓を目懸けて同人の前の机上に置かれていた書類挾を突飛ばした結果右書類の金具のついた角が同次長の左顔頬骨附近にあたり、同次長に控訴人主張のような傷害を負わせたか否かの点について判断する。

<証拠省略>の結果を総合すれば、昭和三五年六月一七日午前一〇時四〇分頃から運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所の会議室において、当局側嶋同工事事務所長、渡辺啓同次長代同工事事務所課長四名、新潟調査設計事務所の課長二名、組合側運輸省全港湾建設局労働組合第一建設局地方本部副委員長高島三郎外二一名に同地方本部秋田港支部執行委員である被控訴人らオブザーバー九名を加えて合計三〇名が出席し、同年三月組合側より提出した要員の問題等九の要求項目について団体交渉が開かれ、会議室の机の配置及び着席の模様は原判決添付第二見取図記載のとおりであつたこと、しかるに、交渉に入るに先立ち、当局側よりオブザーバーの発言を禁止する趣旨の発言がなされたことから紛糾し、組合に対する嶋所長の態度に対する不満等に論議が集中して本議題に入らぬまま昼食時の休憩となり、午後二時半過に再開せられたものの午前中と同様な論議が繰返され、交渉は、依然停頓状態を続けたこと、ところが、午後三時頃に至り、交渉を傍聴すべく多数の組合員が右会議室に詰めかけて来たので、当局側より右組合員らに対し勤務時間中であるから直ちに職場に復帰するよう指示したが、右組合員らはこれに応じないばかりか、個々が無統制に当局側に対し罵詈に等しい発言をしたため、事態は、さらに紛糾するに至り、そのままの状態では、到底正常な団体交渉に入ることが困難となり、当局側は、組合側の態度を交渉ルール違反として黙秘の態度に出たこと、このような状態が続いて午後五時三〇分頃になり、高島地方本部副委員長から当局側に対し事態収拾のため暫時休憩に入ることを提案したが、当局側は、これに対しても沈黙を続けていたところ、机を挾んで当局側と向合つて着席していた組合側二列目ほぼ中央に位置していた被控訴人は列席せる新潟港工事事所の田川経理課長、同山崎第二工事課長らに対し順次事態収拾の意思の有無を尋ねる発言をしたが、いずれからもなんの回答が得られなかつたので、さらに曽つての上司であつた渡辺次長に対し「下僚であつた自分の言わんとするところは分るだろう。次長はどうか」との趣旨を発言したけれども、同次長も、また腕組みをしたまま応答を与えなかつたので、被控訴人は、突然自席から立上り、最前列の高島副委員長と堀内新潟港支部支部長の座席の間を渡辺次長の席のほぼ正面に割つて出て、同次長の机上同次長手前の端から約二〇糎位の処に横位置に重ねてあつた書類挾二個(書類挾の大きさ、形状、重さ、重ね方は原判決添付第二及び第三見取図記載のとおりである。)を左手を机につき、右手で同次長の方に強く突飛ばした結果勢で上部の書類挾が開いて表紙の一部が同次長の左顔部に接触し、下部の書類挾とともに同次長の左足附近に落ち、挟んであつた書類が床上に散乱したことを認めることができ、以上の認定に反する<証拠省略>の結果は採用しない。

そして<証拠省略>に徴すれば、同日午後七時頃当局側と組合側幹部との話合の結果当日の団体交渉はこれを打切り、翌日引続き行うべきことに決定を見た後渡辺次長は嶋所長とともに翌日の団体交渉について第一港湾建設局幹部と用談を遂げるため、新潟市内の室長旅館に赴く途次、同日午後九時頃同市附船町一丁目四三八三番地の大藤医院に立寄り、医師大藤一夫の診察を仰いだところ、左顔部打撲約三日間の安静加療を要する旨の診断を受けその旨の診断書の交付を受けたことが認められるが、右診断は左頬部に強い疼痛を感ずるとの渡辺次長の自覚痛の訴のみを根拠とするものであつて、これを裏付ける発赤、腫脹、皮下出血等の明白な外的所見はなんら認められず、同医師は、処置としてゼノール温布を施しただけであつたことは右大藤証人の証言に明らかである。しかして、右事実に<証拠省略>の結果によつて認められるように、渡辺次長は、右の治療を一回受けただけでその後診療を求めたことがないのは勿論一日に数回の取替を必要とするゼノール湿布を取替える等の手当を自宅においても加えるところがなく、当初の右湿布を同月一九日までそのままに放置していた事実、渡辺次長は大藤医師の治療を受けた後、室長旅館における会合に出席し、飲食しつつ談合し、同夜一二時迄頃帰宅した事実を総合して考察すれば、同次長は左顔部に書類挾が当つたことによつてなんらの痛も感じなかつたといえないとしても、安静三日を要するような打撲症を受けたとは到底認め難く、右認定に反する前記渡辺啓の供述部分は採用しない。もつとも、大藤医師作成のカルテ<証拠省略>には「ROTUNG」すなわち発赤ありとの記載があるが、右は昭和三五年一二月一日懲戒処分についての被控訴人の審査請求による人事院の口頭審理において同医師が証人として尋問せられた際、カルテには当時右の記載がなかつたにもかかわらず、「軽度の発赤あり」とカルテを読上げたため、これに符合するように後日右の如き追加記載をしたものであることは当事者間に争がないから、右記載は前記認定を左右するに足らない。

しからば前記のように書類挾を突飛ばした被控訴人の所為は、たとえ停頓状態にある団体交渉を打開する意図に出たものであるとしても、きわめて粗暴な行為であつて、その限においてなんらの責任のない行為とは云い難いけれども、前記の書類挾が渡辺次長の左顔部に当つたのは勢の然らしめたところであるばかりでなく、これによつて生じた結果も前叙認定の程度に止ることは前記のとおりであるから、恐らく右事実自体、そのままの形においては懲戒処分としての一ケ月の停職を維持ないし強化する事由として採上げられなかつたと考えられる。しかるに、事実を知悉する渡辺次長は、大藤医師の診断書記載のとおりの受傷の事実が存するものとして、右診断書を証拠とし、嶋所長を通じ被控訴人の任命権者たる第一港湾建設局長幸野弘道にこれを申告し、同局長も真相を十分調査することなく、診断書記載の事案をそのまま採用してこれを被控訴人に対する懲戒処分の一事由とした結果前記のように恐らく掲載を見るに至らなかつたと考えられる事実が誇大な形において昭和三五年一〇月初旬第一港湾建設局発行の原判決添付の局報号外に懲戒事由の一として掲載されたものと云わなければならず、右局報号外の約一五〇部が第一ないし第四建設局、第一港建設局管内の各工事事務所及び運輸省港湾局等に配布せられ、これらの所属職員に周知せられるところとなつたことは前記のとおりであるから、控訴人国の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うにつき過失によつて被控訴人の名誉を破損したものというべきであつて、控訴人国はこれがため被控訴人の被つた精神的損害を賠償する責に任ずべきものといわなければならない。

そこで損害額について考察するに、本件は、前段に認定したようにもともと被控訴人の団体交渉の席上におけるきわめて粗暴な行為に原因するものであつて、傷害の点を除いては前示局報号外に掲載された事実が存在し、傷害の点についても実質的にはきわめて僅少な程度の差があるに過ぎないごと、被控訴人が書類挾を突飛した前後の事情その他諸般の事情を参酌すると控訴人国が被控訴人に支払うべき慰藉料は金一万円をもつて相当と認める。

よつて、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し金一万円の支払を求める限度において正当として認容し被控訴人のその余の請求は失当として棄却すべく、従つて原判決はこれを変更すべきものとし民事訴訟法第九六条第九二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 仁分百合人 池田正亮 小山俊彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例